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第8回 ジャパン ベトナム フェスティバル~日越外交関係樹立50周年記念イベント~|9月23日公園の歴史

~9月23日公園とは~

9月23日公園はホーチミンの中心部にある公園でとても緑豊かな場所です。


名前が9月23日公園と、とても面白いですよね。
この名前には歴史があります。

[ani color=#ffff00]1945年9月2日に、ホーチミンがベトナムの独立宣言をしました。[/ani]


[ani color=#ffff00]「自由、独立より尊いものはない」[/ani]ホーチミンの有名な言葉です。


しかし、植民地支配をしていたフランスはベトナムの独立宣言を認めず、[ani color=#ffff00]1945年9月13日に、フランスを支援する形でイギリスがベトナムへ進駐しました。[/ani]


この時にベトナムの敵になったのが、再支配をもくろむフランスと、それを支持するイギリス及び英国領インド、[ani color=#ffff00]そしてベトナムでイギリス軍に降伏した日本軍でした。[/ani]


第二次世界大戦終盤、1945年7月にポツダム会談が行われ、アメリカ、イギリス、ソ連の3ヵ国首脳が日本降伏後の戦後処理をしていました。その席で、ベトナムについて北部を中華民国、南部をイギリスが監督することで合意しました。そして、ベトナムの正当な支配権はフランスにあるという見解で一致。しかし、フランス軍は大戦で疲れており、フランス軍の再進駐を支援するべく、イギリス軍がインド軍を従えて、ベトナムへ進駐することになりました。


[ani color=#ffff00]当初イギリス軍は8月28日までに進駐する予定でしたが、台風の影響により延期になり、その間にホーチミンが9月2日に独立宣言をしたと言われています。[/ani]


9月13日に、イギリス軍、インド軍の先遣隊がサイゴン(現在のホーチミン市の中心部)に入ります。当時のサイゴンは、大戦終結後も残っていた日本軍の武装解除もまだ行われておらず、情勢が極めて不安定でした。そこれ、イギリス・インド軍は日本軍を降伏させ捕虜となっていたフランス人兵士を開放して再武装させベトミン勢力の排除をしていきました。



サイゴンの殆どを制圧した、イギリス・インド軍は9月23日、一部残っていたベトミン勢力に対して攻撃し、サイゴン全域の支配を確保します。[ani color=#ffff00]これをうけて一般市民のベトナム人たちが暴動を起こすのです。またそれをきっかけにベトミンがサイゴン中央市場(ベンタン市場)やタンソニャット飛行場を攻撃。本格的な武力衝突に発展しました。[/ani]そんな中、英仏側は残留していた日本軍を指揮するようになり、日本軍はイギリス軍と遅れて到着したフランス軍とともに、ベトミンの敵として戦うことになりました。



この時、ハノイにいたホーチミンが南部の国民に向けて[ani color=#ffff00]「奴隷として生きるより自由に死ぬことを選ぶ」という言葉を記した書簡を送り、徹底抗戦を呼びかけました。[/ani]



その後、ベトナムとフランスは第一次インドシナ戦争(1946年12月~1954年8月)へ突入していきます。



[ani color=#ffff00]この戦いの抵抗精神を忘れられないように、9月23日を抗戦の日と定め、ベンタン市場前で大きな抗戦が行われた南部抗戦を記念して9月23日公園と名づけられました。[/ani]



[ani color=#ffff00]また、9月23日公園は旧サイゴン駅の跡地とされています。[/ani]


鉄道の跡地なのでとても細長い公園となっています。


2002年に、公園の改修が行われ、9月23日公園に統合されました。それ以来、「September 23」と呼ばれている公園は、サイゴンの人々の生活と活動の一部となっています。


以上、9月23日公園の歴史でした。
拙文最後までお読みいただきありがとうございます。

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